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第1回慰霊の日の新聞読み比べ

2020年6月28日収録

· へいわがく

「平和」と「アート」、その表現や関係について深めるための連続した議論を行っている「平和学」チーム。
「ゆんたく はんたく へいわがく」と題して、月に1回のペースでYouTube配信を行っています。

第1回の放送は、「6月23日の沖縄県内外の新聞読み比べ」と題して、慰霊の日やそれに関する県内外での報道を比較し、議論していきました。

1.2020年、それぞれの慰霊の日

​石垣>>芸術祭のオープニングと第二部(それぞれの過ごし方)の配信の為、安定したネット環境の場でスタンバイしていた。

西尾>>今日の企画の為に、各地を回ってできるだけ多くの新聞を買い集めていた。

沖縄アジア国際平和芸術祭​沖縄県民にとっては、慰霊の日は生活の一部で、四人に一人が亡くなった沖縄戦について想いを馳せる日になっているが、県外では「6月のある日」として過ぎ去ってしまう危機感も感じる。

2.沖縄県内の新聞報道

沖縄タイムス:コロナ禍での慰霊の日について記載あり。6月22日に、石垣と嘉手納において大きな出来事があったので、それらが一面を占めたが、6月23日にはこれまで何が起こったのか、県内政党はどう取り組んでいるのか、平和教育の現在についても記載があった。

文化面でも、コロナ対策で慰霊祭の縮小について議論があったことなどを取り上げていた。戦跡の平和活動の方法についても記載があった。沖縄県が抱える米軍基地の過重負担について、県内政党が慰霊の日と繋げて発信していることも印象的であった。

特集として、75名の戦争体験者へのインタビューも記載(Webにも公開されている)
 

▶参考:[戦後75年]沖縄戦 伝えたい/体験者75人の記憶と願い https://www.okinawatimes.co.jp/articl...

沖縄アジア国際平和芸術祭 上原さんの話。古宇利島の壕での体験談。戦争体験については話したくはないが、後世に伝えたいという想いがある。
 

▶参考:戦争は知らない、それでも戦没者の人生は語り継がれる 「オンライン」参りで見えた継承の形 https://www.okinawatimes.co.jp/articl...

(狩俣)こういう想いの方はまだ多くいる。継承という観点でいくと、証言を伝えていくだけで十分と言えるのか?という議論に繋がる発信だと思う。

3.沖縄県外の新聞

朝日新聞:慰霊祭の開催場所についての論争を記載。沖縄戦は沖縄県民の今に繋がる大きな出来事だが、それが国としての記憶に巻き取られる危険性について言及している(社説)

毎日新聞:犠牲が美化されることの危険性を示す。沖縄の米軍基地過重負担についての言及も。沖縄にある米軍基地があることで守られる安全保障というものは、日本全土に関わることなので、無関心ではいられないという指摘。(社説)

6月23日は安全保障の日としても取り上げられており、沖縄県から見る6月23日と県外から見るそれとは、競合するかたちにある。

県外紙の中には、安全保障の強化についての言及が多く、沖縄戦や沖縄に起きた被害とその現状については、触れていない新聞もある。


沖縄の戦争体験者からの証言の中に、牛島陸軍大将は優しかったという話があり、それを取り上げている紙面も。

4.慰霊の日と式典について

(質問)慰霊祭の縮小+開催地の変更について、それを聞いた時どうおもった?

普久原>>国立墓苑に存在については、この件で初めて知った。考えるきっかけになった。

狩俣>>国立墓苑の名前は知っていたものの、身近ではなかった。「遺骨が納められている場所」という認識だったので、遺骨や遺品が全くない戦死者はどうなるのだろう?と思い、HPを確認した。自分の思う沖縄戦と、国立墓苑が考える沖縄戦は、全然違う角度であることがわかった。国立墓苑でやることは、「沖縄戦の肯定」や「犠牲の美化」を認めることになると思い、反対運動の署名にサインした。

(質問)国立墓苑は国の語りたい沖縄戦を表している。国に絡め取られない沖縄戦とは、どんな語り方ですか?

狩俣>>沖縄戦において沖縄県民は、「持久戦にもつれこませる為に巻き込まれた」という事実があり、自らの意思ではなく、「戦わされた」という認識であるので、国立墓苑で語られる様な「共に戦ってくれた」という語り口調は非常に危険だと思っている。


普久原>>沖縄で語り継がれるのは「食料を奪われた」「壕から追い出された」という記憶だが、県外では「提供された」という様な表現になるので、全く別のストーリーが語られてしまう危険性を感じている。

今日は急遽参加かなわなかった石川くんのコメント>>県外の新聞を読んでいて気になったのは「とても抽象的な言葉でまとめられていて、具体的なアクションが見えない」

また、「正しく伝えていかなければならない」の様な表記があるが「正しく」とは、一体どこから見た視点で正しいのかという点で不安を感じる。


(質問)摩文仁で慰霊祭を行うこと、場所の意味や意義については、どう考えるか?考えるきっかけは、これまであったか?

狩俣>>学生の時は、平和教育を受ける際、冷めた目で見ていた。戦争体験者の体験については知る機会があったが、沖縄島中部が、日本軍が戦略的に陣営を展開する場所となっていたことや、どんな作戦だったのか、どんな風に戦況が移り変わったのかなどの沖縄戦の概要は知らなかった。

沖縄県民と日本軍と米軍の関わりなどを知れば、平和祈念公園に、関わった全ての人が弔われている事実などに違和感を覚えるはず。

県外の修学旅行生は、平和の礎に刻まれる沖縄県民・日本軍・米軍の名が等しく同じ場に刻まれることについて、「沖縄の人は嫌じゃないんですか?」と質問することも多いが、沖縄が沖縄戦やそこでの戦死者を等しく慰霊するこの現状が、沖縄が戦争についてどう考えているかを物語っている様に思う。

普久原>>摩文仁の地は、国籍や立場を超えて戦死者の魂を慰霊している。この地は、そういった特別な意味がある。

平和の礎を訪れる際には、親族にまつわる戦争の記憶を語り継ぐということが自然と行われる。そういう意味でも、平和の礎には多くの継承が存在するので、特別な地であると感じる。

石川コメント>>戦争体験者の焦りを感じる。これは、「孫世代に伝わっていない」と「今の社会状況が沖縄戦前に非常によく似ている」という感情がある。

(質問)沖縄県知事の平和宣言について

普久原>>リアルタイムでは聴けなかったが、後日聴いた際には、「まさに、現状を表しているな」と感じた。自分自身、沖縄戦や平和教育にそんなに興味がなかった。もし多くの人がそういう状況なら、それをどう解消するには、どうしたら良いだろうか?と考えさせられた。


狩俣>>県知事という立場から話すこととして、非常にポジティブに捉えた。体験者の方達から沖縄戦のことを「人が人でなくなる」「ありったけの地獄を集めた」という様な表現で受け取っていた。そういう「人権の侵害」を行わないシステムづくりをする県知事の立場での発言としては、とても具体的で良いと感じた。

石川コメント>>平和宣言に対する問題意識。「沖縄」という場所から発するメッセージとして適切だったのか疑問に思っている。平和宣言は、誰に向けての言葉だったのか?戦後75年今も尚苦しい想いを抱えている体験者の気持ちを汲み取っている様には思えなかった。どれだけ、沖縄戦の記憶に向き合えるかは、これからを生きる我々の課題だと思う。

狩俣>>むしろ未来を見ていることが、言葉で体験者に寄り添う言葉を並べるよりも、県知事という立場は、今後の沖縄をどうしていくのかに責任がある人なので、過去を疎かにしているわけではないと考える。デニー知事が生きてきた沖縄は、私たちよりも戦争の記憶と共に生きてきたはずなので、あえて未来への前向きな発言は、戦争体験者への「安心してください」という意図もあった様に思える。

普久原>>国への対立を避ける宣言だったという指摘は、とてもモヤモヤしている。デニー知事らしく、うちなーぐちも英語も織り交ぜながら話していたのではないかと考える。

5.記憶を継承する

(質問)慰霊の日という日に、何を話すのか(基地問題も含むのか、様々な視点で語られる沖縄戦など)について、様々な議論が起こった6月23日だったと思うが、何がふさわしく、何がふさわしくないのか、どう考えるか?

普久原>>芸術祭の作品の中で、普天間基地による水質汚染をテーマにするものがあった。これについて、来場者から抗議があったことが、自分にとっても非常に「何を話すのか」「慰霊の形とは」と考える機会になった。「誰が相応しさを決めるのか」など。

狩俣>>学生の時、初めて式典に参列した。首相がスピーチを行なった際にはヤジが飛び、県知事が話すと肯定される様を見て驚いた。その後、県内の様々な課題を勉強したが、その時には「そうでもしないと声が聞いてもらえない」という状況もあるので、そうする他ないよな。という納得感があった。そのくらい、抱えている課題は非常に複雑で、相応しい相応しくないというのは、誰かが決められるものじゃないと考えている。

普久原>>式典の野次も、今回の作品についての議論もそうだが、これは個人の感情に紐づいているものだと思う。この溢れ出てくる個人の感情に対して、他者が否定するということは、あって良いことなのかと疑問が残る。

西尾>>今年の6月23日は、沖縄戦とそこから今に繋がる様々な課題における、多様な個人の感情とその微妙なズレが浮き彫りになった様に思う。その微妙なズレを国がたくみに利用して県内の分断を生じさせている様に感じる。


狩俣>>沖縄戦の扱われ方はすでに変化していて、今後も変わっていく。継承の仕方やその中身は、「なぜ継承するのか」「何を継承したいのか」を明確にしないといけないと感じている。今回の慰霊祭にまつわる様々な議論は、それを改めて気づかさせるアラートだった。

普久原>>産経新聞での描かれ方やこれまでの沖縄戦の語られ方を見比べてみたときに、もう一度、どういう風に語り継いでいくのか、継承していくのか、都合の良い風に語られても、それを跳ね除けられるほどのまとまった話を定めていく必要があると感じた。

 

石川コメント>>体験者がなぜ体験について話してくれいているのかを考えて受け止める必要がある。沖縄戦非体験者の我々は、どうしたら本当の意味で継承できるのかを考えなければならない。

普久原>>今回の企画があったから県外の新聞との読み比べなどはできなかった。これを知った今、自分はどう発信していけば良いのか、自分の立場を考えるきっかけになった。今後の企画を通しても、なぜ沖縄から発信するのかなど考える場づくりをしていきたい。

狩俣>>今回の企画で、一つのメディアからしか情報を得ていないことの危険性を感じた。基地問題と沖縄戦が切り離されていた時期を超え、繋げて考える時代になったと感じた。今後の自分の伝え方にも勉強になった。